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2009/07/02 (Thu)
私も好きです、大橋トリオ!!!
完全受け売りです。。。笑

仕事から帰ってきて着替えて紅茶か米焼酎(←オヤジ)を飲みながら聴きたい音楽です。
youtubeにある「dearest man」という彼の曲もほんといいよ!
おんなじような環境で聴くならハナレグミの「家族の風景」も好きだー。

***
感謝、することを忘れちゃダメだ。
おざなりな言葉だけのそれもダメだ。

心から湧き上がってくる「ありがとう」をもっと感じたいし、もっと言葉にしたい。

最近「自分の体は自分のものだから、死も自分で決めていい」かどうかについて考えることがあったんだけど、自分はそもそも自分だけのものなんだろうか?
根源的な部分はもしかしたら自分のものですらないのかもよ。
「私」という存在は親や兄弟や友人や周りの人の心の中に散らばっていて、(もちろんそれだけを取り出して戸惑うこともないのだけど、)それ抜きで「私」を語ることはできないんじゃないだろうか。
などと思っていると「尊厳死」って自分が決めることなのかなあ、と思う。
スイッチを切る医師の気持ち、目の前で故意的に命が消えていく様を見る家族の気持ちなんかを考えたら、この命ひとつでも自分だけでは決められないと思ってしまうんだ。
でも、長期にわたって見込みのない延命治療をするのもどうかと思うけどさ。

法律のアナウンスメント効果、とは言い得て妙だと思いました。
形式上でもコンセンサスが取れてれば納得するんだよなー。
もしも尊厳死法とかで「医師がスイッチを切ってもいい」って定められたら、医師は少しは救われるのかしら。
「そんなの決めたら医師がスイッチを切ることを躊躇わなくなる」なんて言うけど、そんなことはない、と思いたい、よ。
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